207/08/05
2005/1/6
健太郎は今白馬に帰ってきています。2月の初めまでこちらにいるそうです。
今日も岩岳で滑っていたようです。
Xトレイル応援していただいた皆様ありがとうございました。
  (健太郎母)
2004/1/6
今日の白馬は朝から雪ですね、岩岳は土が見えていたのでちょうど良かったかな、八方では今日と明日FISの大会があります、残念ながら中井とかは来ないそうですが、まあそれなりに楽しそうですね。
肝心の僕はというと、新年早々カウントダウンパーティーのMCで盛り上がったあと、クラブで転んで膝を怪我しました、あまりたいした事ないけど。

そう言えば先日、やっと僕の名前でお客さんが来た、何か嬉しかった。今年は基本的に家にいるのでまた探しにでも来て下さい、いつもは部屋に引き篭もってるけど。
2000シーズン ドイツ(ベルヒテスガーデン)でのWC初優勝!
日本人男子としては初めての快挙でした!

              複合から転身 父が支え
ハーフパイプ 宮脇健太郎 23

 【ウィスラー(カナダ)16日=下山田郁夫】スノーボード・ハーフパイプの五輪日本代表チームの最終合宿がウィスラーで始まった。ソルトレークシティーに近い雪質と時差に慣れようという狙いだ。

 第1陣として初日の14日から参加した宮脇健太郎(23)(白馬村ク)は、高校2年までノルディック複合の選手だった。元々、兵庫県出身の父、敏彦さんが「スキーがしたい」と長野・白馬村に移り住んだほどのスキー一家。宮脇は中学3年の時に複合の全国大会で6位に入り、ジュニア五輪には日本代表として5度も出場を果たしている。父が経営する旅館は当時、強豪企業のスキー部の定宿で、「大学にも推薦入学の紹介をするから、うちに来い」と誘いも受けていた。

 だが、このころ、宮脇は壁にぶつかっていた。「このまま続けても、荻原さんには勝てない」。一方で、徐々にスノーボードの魅力に取りつかれていった。

 高校3年の春、父子は衝突した。「ボードに転向する」と宣言した息子に、父は「進路はどうする。スキーを続ければ大学も就職も道があるんだぞ」と猛反対。結局、父が「勝手にしろ」と突き放すことになった。

 案の定、スノーボーダーに大学推薦の口はなく、一時しのぎで入った専門学校も半年で退学。将来を見失った息子に、ある日、父はこう話しかけた。「おい、健太郎。ボードのターンはどうやるんだ。将来は、うちもボードのお客さんを呼びたいから、教えてくれ」。最後に支えてくれたのは、やはり父だった。

 99―2000年シーズン、日本の男子選手として初めてワールドカップ(W杯)優勝を果たして以降、入賞の常連となった宮脇は、徐々にスポンサーも集まるようになった。「ずっと父に借りていた海外遠征費を、最近では自分の収入の中から少しずつ返せるようになった」

 もし、五輪でメダルが取れたら、一番先に触らせるのは「両親」と、宮脇は決めている。